■ トップダウンはいつも突然に
朝一番、デスクで淹れたてのコーヒーに口をつけようとした瞬間、課長が勢いよく風を切ってやってきた。 相変わらず若くてイケイケな雰囲気をまとっているが、その目の奥には「上からの無茶振り」をそのまま持ってきた時の独特な光が宿っている。
「なんでも屋〜! ちょっといいか?」
「……なんでしょうか、課長。まだコーヒーの湯気すら収まっていないのですが」
「部長から急ぎでオーダーが降りてきてさ! 『うちの主要製品、1個つくるのにリアルタイムでいくらかかってるかパッと見で分かるようにしろ』って!」
「……はい?」
「ほら、金型代とか加工時間とか材料費とか、全部まとめて『この製品の1個あたりの費用(ユニットコスト)』を可視化したいんだって! 経営戦略的に今すぐ要るらしい!」
「言うのは簡単ですけど……それ、うちの基幹システムにもそんなリアルタイム集計の機能はないですよ? 現場のデータも金型の償却ロジックも全部バラバラです」
「だよね! だからなんでも屋に頼みに来た! 期待してるからよろしく!」
爽やかな笑顔を残し、課長は風のように去っていった。
残されたのは、冷めかけたコーヒーと、果てしない仕様策定の山だけである。
■ まだ完成どころか、何ひとつ始まっていない
「……で、どうして総務ちゃんが私の席でドカッと腰を下ろしてお茶を飲んでいるの?」
「あら、なんでも屋さん。課長から聞こえてきましたわよ。『1個あたりの費用をリアルタイムで出せ』なんて、また無茶なご要望ですわね。私、応援に来て差し上げましたの」
優雅に湯呑みをすする総務ちゃん(お嬢様口調)。
心強いのか邪魔なのか絶妙なラインだが、ぼやいていてもシステムは1ミリも完成しない。画面のVisual Studioには、まだプロジェクト作成直後のまっさらなコードが表示されているだけだ。
「応援はありがたいですが、まだ完成どころか1コードも書いてないですよ。これから調整、設計チーム、現場チームへのヒアリングからスタートです。何が必要で、どこに罠があるかを洗い出さないと……」
そこへ、作業着姿の現場ちゃんが「たのも〜」と事務所に入ってきた。
「なんでも屋ちゃん! 課長から聞いたで! 『うちの製品が1個いくらかかるか画面にドーンと出る魔法のシステム』作るんやって?」
「魔法じゃないです、泥臭いデータベースの集計処理です……。現場ちゃん、ちょうど良かった。ヒアリング第一号になってください」
■ 1. 役割分担とモノ・データの流れの整理
私はノートを開き、現場ちゃんと総務ちゃんを前にホワイトボードへ向かった。
「まず、今回のシステムを作るにあたって役割分担を明確にします。原価の『計算式(数学的なロジック)』の構築は、製品の構造を一番分かっている設計チームにお願いすることになりました」
「まあ、設計チームなら金型代や材料費の難しい計算もお手のものですわね」
「問題はここからです。私——なんでも屋の担当は『モノとデータの流れの整理』です。工場の中で製品がどう動き、それに伴ってデータがどこを通っているかをすべて可視化します」
私はホワイトボードに巨大なフロー図を描き始めた。 素材の入荷から、切削、金型成形、検査、出荷まで。そして各工程の横に赤と青のマーカーで記号を書き込んでいく。
- 【青】= すでにデータベース化(DB化)されているデータ(加工時間、基幹システムの出庫履歴など)
- 【赤】= まだDB化されていない紙やローカルExcelのデータ(手書きの検査チェックシート、金型ごとのショット数メモなど)
「ふむふむ……赤色の『DB化されていないやつ』が結構ありますな」と現場ちゃんが覗き込む。
「そうなんです。計算式に必要な工程のうち、DB化されていないものをピックアップしたら……出るわ出るわ、赤マークの山です」
■ 2. 過去5年分という地獄のデータ加工
「DB化されていないデータがあるなら、システムに流し込むための『過去のマスターデータ』を作らなきゃいけません」
「まさか……」と察しの良い現場ちゃんが引きつった顔をする。
「はい。設計チームや現場チームに『過去データを整形して提出してください』ってお願いしたかったんです。切実に、心からやってほしかったんです……!」
「ですが、皆さま『日々の業務で忙しい!』『そんな昔のExcel引っ張り出せるか!』とお怒りになったわけですわね」
総務ちゃんが扇子を叩くような仕草で頷く。
「その通りです。結局、『システム屋さんが一番データのフォーマットに詳しいでしょ』という謎の論理が展開され、過去5年分のバラバラなExcel、手書きのPDF、謎のCSVデータを私が一人で加工することになりました」
「ご、5年分……!?」現場ちゃんが絶句する。
「表記揺れはあるわ、セルの結合はあるわ、単位が『g』と『kg』で混ざってるわ……。先週からずっと画面と睨めっこしてデータクレンジング作業をしていました。もう目と指が完全に死んでいます。今も画面が三重に見えています」
「可哀想に……! なんでも屋ちゃんの目が、干し柿みたいにしわしわになってるで……!」
「例えが失礼ですよ現場ちゃん!」
■ オチ:サバイバルの幕開け
「まあでも、なんでも屋さんのおかげで『データの流れ』と『不揃いだった過去データ』は綺麗にDBへ流し込めましたわね!」
「ええ……これでようやくスタートラインです。これから設計チームが作ってきた計算式を組み込んで、現場のPLC通信プログラムを書いて、UIを作って……まだまだ先は長いです」
ため息をついていると、背後からスッと気配がした。
「——ほう。すでに全体のフローを図示し、DBの未整備項目を洗い出し、過去データのインポートまで独力で終わらせたか。さすが『なんでも屋』だ」
(出た! 背後取りの課長!)
「課長……見ての通り、完成には程遠いです。まだ現場と設計の調整の真っ最中ですよ」
「分かってるって! でもこれで基盤はできたわけだ。……で、画面に数字がドーンと出るプロトタイプ、来週の進捗会議で部長に見せていいか?」
「話聞いてました!? データの下準備が終わっただけで、プログラムはまだ1行も書いてないって言いましたよね!?」
「まあまあ! なんでも屋ちゃん、目薬あげるから頑張ってな!」(関西弁天然) 「私からは高級ホットアイマスクを差し上げますわ!」(お嬢様ボケ)
「……両方今すぐ使わせてください」
こうして、未完成の「ユニットコスト可視化システム」を巡る、泥臭い開発と社内調整の日々は続いていくのだった。 (……また私か。)